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2011.09.19

広島初上陸(6)-しまなみ海道から鞆の浦へ+「御舟宿いろは」でうずみ御膳

まだ、天気のいいうちに出発します。

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最初の橋は、世界一の斜張橋、多々羅大橋です。

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ここを超えると愛媛県へ突入します。

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ちょっと地味目の大三島橋と伯方大島大橋。

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そして、世界初の三連吊橋、来島海峡大橋。全長4キロにもおよぶ橋は、圧巻です。

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これでしまなみ海道制覇です。

せっかく四国に来たので、今治城まで行くことにします。

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今治のスーパーでも買物をして、天気が悪くなる前に広島側へと戻ります。

飛行機の時間までは、まだ間があるので、鞆の浦まで行ってみることにします。昔から、潮待ちの港として栄えてきたところです。まずは、町家を改装した「御舟宿いろは」の1階でお昼にします。坂本龍馬の海援隊の船、いろは丸が紀州藩の船と衝突事故を起こした際に、賠償交渉を行ったのが鞆の浦ですが、まさにその交渉が行われたのがこの建物「魚屋萬蔵」宅ということです。

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老朽化しつつある建物を、街の再生を図っているNPOの方が宮崎駿デザインで改装をした建物だそうです。

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まずは、江戸時代からこのあたりで製造販売されていたという健康酒、「保命酒」をひとくち。16種類の生薬が入っているそうです。においは、台湾や東アジアの漢方薬通りのにおいです(わからないか・・)

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これは福山鯛うずみ御膳。

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この御飯、見た目は白ご飯ですが、その下にいろんなものが隠れています。内容については食べてのお楽しみということ。「うずみ」とは、このあたりで昔から食べられている郷土料理で、具をうずめることから「うずみ」になったそうです。江戸時代に倹約をすすめる藩主に隠れて肉やエビを食べるために考案されたとか。よく似た話を同じ広島の「もぐりずし」で聞いたことがあります。

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こちらの御膳は、横にある鯛の昆布じめの刺身をのせていただいてもよし、途中から出し汁をかけていただいてもよしとのことです。

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もう一つの御膳、鯛漬御膳には、+300円で鯛のかぶと煮のついた贅沢御膳が用意されているようなので、このうずみ御膳にも鯛のかぶと煮が付けれられるか尋ねたところ、快諾していただきました。これでしっかり、鯛ボリュームアップです。

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連れは、キッシュ。手作り感あふれるキッシュです。

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鞆のまちを散歩します。鞆のシンボル、常夜灯。

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遠くには対潮楼も見えています。

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保命酒のにおいが立ち込める古い町並み。

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さて、そろそろ空港へと向かう時間です。途中鞆の浦のすぐ近くの「道の駅 アリストぬまくま」と三原市内の「やっさ ふれあいいちば」に立ち寄って野菜と焼き穴子を調達して、帰途につきました。広島県を西から東まで、広範囲にカバーした旅でした。瀬戸内のたくさんの魚をたべて、大満足です。

<おまけ>

厳島神社では杓子を買ってきました。

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夕食は、広島と愛媛で買ってきたもの。箸置きも買ってきました。

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愛媛県小松島市の魚かつ。

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アジの南蛮漬け。

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瀬戸内のアナゴ。素焼きとタレで頂きます。頭をつけたまま売っているのが西日本仕様です。

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